終わりにしていたはずの感情

そう。
思い出したんです。


ずっと、
「もういいや」
って終わりにしていた感情。


私は、ファッションの世界で
作り手として生きたかった。


10代の頃から思い描いていた夢。
やっと、23歳で学ぶ決心をした。
社会人クラスに、仕事をしながら通った。
でも、
私には実力も才能も運も勇気も、なかった。
だから、24歳で諦めた。


卒業前、パタンナーになりたかった私に、
大御所の先生は1つ、道を用意してくれていたんです。
「せめてもう半年、通いなさい」って。


それって、実力と才能がゼロだったわけではないと、
今ではわかるのですが、
その当時の私には
「あと半年通うお金がない」という、
ずーっとまとわりつくお金の呪縛と、
パタンナーの就職口なんて、ほんとうに少ない」
という、ネガティブな現実の呪縛が、
夢へと進むことを拒んだんです。




昨日、少し分野は違えど、
ファッションの業界を描いたドラマを
何の気なしに見ました。
ショーまでの道のり。



28歳の時。
自分が表舞台に立つことは諦めても
それを目指す人たちの役に立てれば、と
自分が学んだ学校で働き始め、
念願のファッション分野のクラス担当になった初めの半年。
いきなり、修了展のショーの総責任者になり。


着任してすぐ来た仕事が、こんなハードだとは...
あまりの仕事量に毎日吐き気がするし、頭痛がするし、胃が痛くなるし、
何度も泣いた。
毎日終電、毎日睡眠3時間、職場に泊まる、そんな日々。
かなり追い詰められたけど。


実は、身震いするくらい、ワクワクもした。


その時を思い出せる映像も写真も資料も何も手元にないけど、
断片的に思い出す。


どれだけの人が係わってくれたんだろう。
当日、校舎責任者に
「今日はお前が、俺を含め、全員を動かすんだからな」
と言われて、身震いした。
その時の何ともいえない緊張感を、今でも覚えている。


受講生だけで100人近くいたかな。
ショーをやるクラスのFC学科、スタ科の受講生。
お手伝いしてくれたヘアメイク学科、
それぞれのクラスの講師陣、
モデルさん、
設営、映像、音響、照明の業者さん
スタッフだって、本部の方や他校舎のスタッフまでヘルプに来てくれた。


私が
「止まれ!」
って言ったら、その全員が止まるんだ...


その重圧に、震えが止まらなかった。
いま思い出すだけでも、手が震える。


その日、自分が何か指示を出した記憶が一切残っていない。
それくらいの場だった。


終わった後のあの何とも言えない、
解放感と、嬉しいだか、さみしいんだかっていう、複雑な感情。



もう絶対あんな重たい仕事はしたくない。
でも、華やかな世界に携われたこと、
どこかで誇りに思っている。




最近の私は、
「もう、今の私には、華やかな世界はいらない。」
そう思っていた。


でも、昨日。
号泣した。


華やかな世界への憧れが、心に残っていることに、
気が付いた。
気が付いてよかった。


これで、この、ずっと奥に抱えてきた想いを
昇華させてあげられる。


そんな気がする。