突っ走ることが許される時

先週は
メンタルサポートを受けに茅ヶ崎
都内で、製作の打ち合わせ


すごく前に進んでいるわけではないけど、少しずつ自分で答えが出せてきていて
もうこのままもっと自分らしくなっていけばいいんだということを、
先週は特に実感しました。


メンタルサポートの件はまた別で書きます。
今日は製作の打ち合わせについて。


8時間かけてやった刺繍を、気に入らなくてほどいたという話をした時
友人がすごく満足そうな顔をして、「それでいいよ」と言われました。
私的には「?」で、
「完成がまた先送りになっちゃう...展示会も先送りになっちゃう...」
と申し訳ない気持ちでいっぱいだったのですが、


「変わったよねー、いいほうに」
と言われました。


以前、別のコンセプトで革小物のオーダーを中心に活動してきた時の私だったら
作品を持ってきて
「見てみて!これ8時間かけてやったの!」
って言ってきていたと。
そうだったのかなー。そうだったかもなー。


今回の
“気に入らないから、作り直したい”


私にとってはどちらも素直な私の言葉なんだけど、
後ろに見える意志が、違う。


着実に、自分のやりたいこと、やるべきことの芯がブレずに来ているな、と。
どれだけ時間をかけて作ったか、ではなく、
前に進んだか、進んでないかの問題ではなく、
芯が通った発信をしていくか。
「いろいろやってるみたいだけど、で、結局何をしているの?」
という状態になってしまったら、私自身が発信する意味はない。


私にとってそれは、ものづくりであり、ファッションであり、世の中の女性がもっと自分らしさ・個性を表現して欲しいっていう想い。


だから、それは「私、頑張ってここまでやったの!」という、ただ成果を認めて欲しい発言ではなく、
「私の作品だから、こだわりたい」という、自分自身の想い、中身が詰まった発言で。


幹が太くなっていく感じ
なんですかね、今。


だから
時間がかかっても、
私らしさを前面に出したものづくりを
納得いくまでやればいいと。


「振り切ったっていいんだよ。むしろ、振り切るくらい突っ走ってくれていい。」
突っ走りすぎたら止めるから、と友人に言われました。
そのために、サポートしてくれているんだと。
逆に、振り切ってくれ!と言われました(笑)
そのほうが、“私にしかできない、面白いもの”ができるんじゃないかと。


そこを友人も楽しみにしているし、そこに可能性があると思ってくれているからこそ、サポートを続けてくれている。
そして、何よりも私自身がそこに楽しさを見出している。


以前の私なら、いろいろがんじがらめで、
何かに抑制された中で作っていたし、
私が作る意味がよくわかっていなかった。
別に、私以外の人でも作れるであろうものを作っていたとも思う。


安心して、振り切って突っ走ってみようと思います。