感覚が鋭くなると 見えなくても 感じる

いろいろな方に助けていただいて、今の私があります。


今の私になれたのは、
30年以上、疑ってかかっていた自分の直感力について、
信じられるようになったということが、とても大きい。
そんなもの、持ち合わせていないと思っていたので、
直感でひらめいたことでも、
かならず何度も何度も考え直して、
場合によっては違う方向に進んだこともあったように思います。
考えすぎたことで、ベストなタイミングを逃していたことも。


でも、私の感覚が鋭いこと、
直感力があることを見抜いてくれた、
今は亡き師匠や直感力が鋭い友人たちに、
何度も諭されてきて、
やっと信じられるようになりました。


そうしたら、見えはしないんですが
目に見えないものを感じることが増えてきました。
直感を信じて、それをもとに行動したり、製作したりするようになったら
どんどん感覚が研ぎ澄まされた感じです。


私の場合は、空間や、彫刻など、立体的な場所が多い。
数年前に行った奈良でもそうでしたが、それこそパワーが籠った仏像や、神社やお寺の空間では、感じることがあります。
以前、いわゆる歴史的に有名なことがあった場所に行ったのですが、
びっくりすることに私が行ったら他の観光客が誰もいなくなってしまい、
私がお参りを終えた瞬間に人の波がやってきました。
お参りの途中も、涙は出るわ、声は出るわ、手が震えるわ、まっすぐ立っていられないわ…と。
まあ、誰もいなくて良かったのですが(笑)


見えないものを感じるときの感覚には、何とか慣れてきましたけど、
その時は本当に体の反応がすごくて、ちょっとびっくりしました。
でも、それから、なんとなーく、ダメな方向に行かなくなったというか。
わざわざ足止めするような事態が、必要であれば起こるようになりました。


身の回りに起こる現象には意味があって、
その現象が訴える意味がわかって、
そのおかげか、
ちょっと立ち止まって、間違った方向にいかないで済んだりとか
考え方を改めたりできるようになりました。
っていうか、いままでは気づかなかっただけなのかもしれない。


まだまだなことが多いですが、
たぶん、この感覚を使ってやるべきことが私にはある。
それは、いつもお世話になっているチヒロさんとこで、
カードを引くとたまに出てくるんです。


だからこそ、それを分からせてくれた人たちが私の前に現れて、
自分の直感力を信じることができて、
感覚を研ぎ澄ますことで、
私にしかできない作品が作れるようになり、
いろんなものが見えてきて、
今の私があるんですね。
これからは、自分の感覚をもっと磨いて、
その人を助けるアイテムを作ったり、
前へ進むお手伝いができたらと思っています。